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フィリピンの日曜日 [雑記帳]

明日は日曜日だ!
週休たった1日の我が社では、日曜日だけが唯一の休息日である。
よって当然、明日の日記の更新はなし!。
従って毎週土曜日は、更新二回をトライしたい。

ローカルの人たちは多分、教会とか行く人が多いのだろうが、フィリピンで駐在、もしくは現地採用で働いておられる方は、日曜日をどう過ごされているのだろうか?

私は専ら家族サービスに、一日を費やしている。
モールへ出かけることが多いのだが、最近のショッピングセンターはMALL ASIAを始め巨大化の傾向があるので、歩いて回るだけでうんざりしてしまう。
折角の休息日だというのに、これでは何の意味がない。

たまにモールの中のマッサージショップで、マッサージとか受けることもあるが、揉まれながらウトウトしても、ハイ仰向けになって、ハイうつ伏に....。
これじゃあ寝られません。

日本のように、癒しの音楽を聴きながら、安眠出来る施設が出来ないかなー....

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出生証明書 [雑記帳]

フィリピン人の中には、出生証明書のない人が、未だに沢山いる。

理由の多くは、出産当時、親同士が結婚していなかった為とか,色々あるが、殆んどは,
必要意識の欠如から来るもののように思える。

貧困家庭に、特に多く見受けられるが、これがないばっかりに、教育を受けられない人もいる。

こういう時、あわてて役所に届け出るケースが多いのだが、遅延で登録した場合の弊害は、
結構大きい。

先ず、NSO国家統計局(National Statistics Office)に登録されるのが、大幅に遅れる。

パスポート取得などの時は特に、このNSOからの、正式な出生証明書が必要になって来る為に、
すぐに取得出来ずに、せっかく海外での研修や、就労などに支障をきたすことになる。

私の会社でも、従業員を日本で研修さす場合など、結構こういうケースに遭遇することも多い。

折角、出生証明書があっても、記載洩れや、誤記があると、これが又余計にややこしい。
洗礼証明書とか、余分な書類も追加して、求めらることもある。

偽造なら、尚更深刻だ。

安易に偽造を作らなければいいのだが、知識が不足していて、ついつい知人の勧めとかによって、
偽造を作ってしまい、取り返しのつかない事態を招くことがある。

フィリピンのパスポートを取得するときも勿論だが、日本で就労する時などは、ビサの発給に支障をきたす。

大使館や日本の法務局では、この種の偽造を見分けるのは堪能で、ほぼ100%見抜かれてしまう。
いい加減に済ますことの多い、この国ならではの弊害だが、知識のなさが決定的に響くといっていい。

フィリピンでは、何か問題があると、近所の『なんでも知っている、おじさんとか、おばさん』が、登場する。

『あそこの角のおばさんは、何でも知っているから、聞いておいで』、とでも誰かに云われると、そこへ行って、おばさんに会って聞く。

おばさんは、知らないとも云えないから、
『ああ、それかい、大丈夫、問題ないよ、こうこうこうしなさい』
といかにも知っているようなことをいい、デタラメを教える。

何にも知らない人は、そこで間違った手続きをしてしまうか、ついには、偽物に手をだしてしまう。

これで又、何年も日本へ行けなくなるフィリピン人が出来上がる。

村落主義のこの国ならではの現象だが、先ず、『近所の物知りに意見を聞く』、という、
プロセスから始めないと、収拾がつかないのかもしれない。

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出生証明書2 [雑記帳]

昨日頂いたコメントの中に、出生証明書と、大学の、卒業証書の名前が違うケースがあった、という話を頂いた。

詳しくは、昨日のコメントを見ていただければ分かるのだが、この国では、出産に携わった
第三者である、病院のミッドワイフや産婆さんが、出生証明書を作成する場合が多い。

自分の子供に対してもそうなのか知らないが、スペルがちょっと違うくらいなのは、全然平気だ。
親も、それを良くチェックもせず、役所に届けて届けてしまう為、こういう、結果を招くことになる。

ひどい話の例えだが、私の知り合いに、JOYという女性がいる。
彼女は、ずっと自分の名前をJOYだと思っていた。

ところが、出生証明書を取り寄せたとき、自分の名前が見つからなかった。

そこで、母親に尋ねると、
『そういえば、あなたの本当の名前は、「マリセル」だったような気がする』、
と言われ、マリセルで、出生証明書を取り寄せると、果たしてあった。

詳しく理由を聞くと、彼女が1歳にもならない内に、両親が別れて、母親が子供を引き取った。
その時に、彼女の父親が名づけた「マリセル」、と言う名前を母親が、気に入らず、「JOY」と言う名前に、勝手に替えてしまったのだそうだ。

当然、出生証明書は、昔のままの、「マリセル」で、変更は出来ない。

母親が、改名のことを忘れてしまっていたのと、小学校に入校した時は、出生証明書ではなく、洗礼証明書のほうを提出した為、それに気づかなかったらしい。

やっと、気が付いたのは、彼女が高校に入学した時である。

彼女はそれから、公式には自分に馴染まない、「マリセル」、と呼ばれることになったが、そこはフィリピン、本名よりニックネームで呼ばれることの方が多い為、幸いなことに未だに、「JOY」で通している。

彼女は今度日本人と結婚して、日本に住むらしいのだが、日本では、ニックネームの習慣は、あまりないから、これからはずっと「マリセル」で、通さないとならなくなる。

そのことを、彼女に言うと、「日本人ならショックかもしれないけど、私は生まれ変われたみたいで、うれしい」と、言っていた。

日本人なら大変と思われることでも、この国の人にとっては、驚くに値しない出来事の、ひとつに過ぎなかったのである。

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フィリピンの教育 [雑記帳]

フィリピンの学校で、新学期が始まっている。

今日のテーマは、『教育』だが、教育こそが『本能』を、制御出来る道と、私は、考えている。

『フィリピン人は、本能で動く』、と前述したが、素朴で従順な性格を持つ彼らは、いい事も悪いことも、素直に受け入れてしまうような所がある。

つまり、善悪を判断する『教育』が、不足している為に、本来、『本能』を制御すべき、機能が働いていないとも云える。

あと本能を制御出来るものに、『強制』という手もあるが、非文明的ではあるし、それを行使すれば、人権蹂躙も甚だしい!

話は、『教育』に戻るが、総じて、この国の就学期間は短い。

日本の6,3,3性に比べ、この国は6、4制で、小学校6年、ハイスクール4年で、日本より実に、2年も少ない。
授業時間も日本に比べて半分以下だ!

一般公立の小学校などは、一日3,4時間程度の授業時間で、2交代、もしくは、3交代である。

アロヨ大統領は、認めようとしないが、今のフィリピンには、教室や、教師の数が大幅に足りないのが現状だ。

その為の2交代、3交代だが、教師に至っては、特に深刻で、人材の海外流失が止まらない為、相当数減少しているらしい。

教科書などは、1冊に付き、2,3人が使用する、というのも珍しくなく、教科書コピーをしようにも、予算が無く、出来ないというケースさえある。

これは、特にマニラ首都圏で、多い現象である。
田舎へ行くほど人口比率の関係かどうか、逆に授業時間は長くなるのが特徴的だ。

マニラ首都圏の、教育飽和状態はさて置き、只でさえ就学期間が短い上に、授業時間の短さが加わるという現状に、この国の指導者たちの無策ぶりには、驚かされる。

要するに、『フィリピンの教育不足』を、私は嘆いているのだが、海外労働者からの送金が、国内総生産(GDP)の10%も超えるという、超人材流出国のフィリピンに於いて、教師不足の確保に全力を尽くそうとせず、自らの利権を貪ることのみに集中している、この国の指導者達に、激しい憤りを感じる。

ゆとりのない、この国の授業体制では、満足の行く道徳教育など出来るはずも無く、ただ一般教科の勉強のみを、頭に詰め込まれているに過ぎない。

近年、尚更貧富の差が激しくなり、就学率の低下を招いている中、学校へ行けない子供達の数も、年々増加の傾向にある。

この国の指導者達が、早くそれらの悪循環に気づき、自らを改めて、真の『教育』を与える努力をしないと、この国の未来は、無いように思えてならない。

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一隅を照らす者 [雑記帳]

フィリピンに来て、11年になる。

これまでに、全財産持ち逃げされたことや、酔っ払った暴漢に、ピストルを出されて発砲されたこと、美人局にも引っかかったこともある。

泥棒様や、スリ様、置き引き様には、合計5回もお世話になった。
失意の連続のような、毎日を送った日々もある。

で、あるに拘わらず、未だにフィリピンが大好きなのは、余程の中毒患者としか、自分でも言いようが無い。

何処に魅力があるのかを、自分でも、よくよく考えてみるのだが、何ら思い浮かばないのが、この国に住んでいる、フィリピン中毒患者の特徴だ。

強いて云えば、素のままの彼らに接した時に、感じる素直さだろうか!?
よく分からない。

まあ、あまり深く考えるのはよそう!!
考えなくてはいけないのが、これからの、この国のことである!!!

今日のテーマは、『一隅を照らす者、是れ国宝』、である。

有名な、弘法大師と並ぶ、平安仏教である天台宗の開祖、伝教大師(最澄)の言葉だが、
『ほんの小さな場所でも、そこを照らすことの出来る人間こそが、国宝である』、という意味だ。

私も、これからも愛してやまない、ここフィリピンに対して、自分で何が出来るかを、考えてみたい。

無論、大きなことなど出来はしないし、考えもつかないが、だからといって、この国の現状を、手をこまねいて、見過ごしていくというのも、我ながら情けないような気がする。

その意味での、一隅を照らす者に、私はなりたいのである。

と、云ってまだ何にも浮かばないのだが..........。

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勝ち組と負け組 [雑記帳]

最近思うのだが、経済紙や、週刊誌の経済欄とかを見ていると、成功した経営者として、色々な企業のトップが特集され、写真や記事が出ているのを良く見るが、あれって意味があるのだろうか?

今までこんな形で経営していたが、こういう風に改善したら、こんなに利益が増えたとか、これからはこんな業績が望める、というあれである。

世の中に確実というものは無く、その場その場の状況で、絵を描いていける人物こそ、荒波を乗り切れる立派な経営者であるとか、いやいや、自分の方針をドンと構えたら、槍が降ろうが盾が降ろうが、動ずることなく、じっくりと経営戦略を練れる人こそ、トップに座る理想の人物だとか、論じられているのを見ると、何だか笑止千万のように思える。

その雑誌に取り上げられてから、わずか半年後に姿を消した会社もあったし、4,5年後には半分位の確率で、その人達の会社で、業積不振や汚職の摘発などを理由に、トップ交代を余儀なくされているのではないだろうか。

いずれにしても、栄枯盛衰、盛者必滅、奢れる平家も久しからずで、短期的な動向で、勝ち組や負け組を決めてしまうというのは、馬鹿げているように思えてならない。

人の一生だってそうだ。
死ぬまでの間、山あり谷ありで、登ったり降りたりと、いろいろで、いい時もあれば、悪い時もあるのが普通の人生だ。

若い頃から苦労や辛抱を重ね、お金を貯め事業を起こして、やっと成功してこれからだ、という時に強盗に入られて、一家皆殺しにされた人もいる。

違う話では、それまで苦労に苦労を重ねても、全然報われなくて、なにをやっても駄目だった人が、定年後に宝くじが当たり、その金で起業し大成功を収め、優雅な晩年を過ごした、という人もいた。

いったい、どの時をもって成功とか失敗とか云うのか、どの時をもって勝ち組とか負け組とか云われなければならないのか、私には全く不可解で、納得しかねる。

『明日には紅顔ありて、夕べには白骨になれる身』で、先のことが、読めぬ毎日を送っているのだから、目先の小さな成功や失敗に、心を煩わす必要など全く無い、といっていい。

型にはまるのがいやで、何をやっても人々に受け入れられず、自然に生きているだけで、人に迷惑を掛けてしまう、鉄じいみたいな人も居る。

ただそれだけで、彼を悪とは云えないし、彼を駄目な男とも云えない。
人は人、それぞれであっていいと思う。

只、死ぬ間際に振り返って、『あーいい人生だった』、と自分で思えれば、私にとっては、それで満足だ。

鉄じいのような生き方は、私には出来ないけど、それは彼の生き方が、彼のオリジナルで、私の生き方も私だけのオリジナルだからだ。

自由奔放に生きられる人って、そうそう、居るものではない。
その点私は、彼のことをちょっぴり羨ましくも思うのだった。

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フィリピンの食材 1 [雑記帳]

日本の食材とフィリピンの食材で、似ていて非なる物の多いことには、驚かされる。
野菜でも、日本のそれとここのでは、かなり差があるものもある。

大根は、やたら小振りの物が多く、中には簾が入っているものが多い。
青ねぎも、日本の物と比べて芯が固く、味噌汁に浮かべても、時々噛み切れずに、口から出してしまうこともある。

たまねぎも10年以上前は、殆んど赤玉葱ばかりが売られていて、白玉葱は、殆んどお目に掛からなかった。
そういう意味では、白玉葱の歴史は、フィリピンでは浅いような気がする。

土壌や季節などの違いから、くるものもあるので仕方は無いが、日本と同じような野菜を手に入れるには、それなりの努力をしなければならない。

中華街か、パサイのカルテマール市場に行けば、日本でお馴染の野菜は殆んど手に入る。
椎茸、春菊、ホウレンソウ、幅の長いもやし、ごぼう、レンコンなど、こちらのローカルの市場では、売っていないようなものを、手に入れることが出来る。
椎茸などは、日本の物より肉厚で香りもよく、何しろ値段が格安だ。

その他で云えば、リトル東京の裏手にある66ショップ『COOP』。
月、木、土に日本から食材が、航空便で運ばれてきて、66ペソ均一で販売されている。
但し、入荷日に行かないと、殆んど売り切れていて、買うことは出来ない。

麺類が大好きな私にとって、スパゲティの違いも見逃せない。
こちらのスーパーマーケットで売っているスパゲティは、ボイルしたあと必ず流水で洗わないと、引っ付いてしまって調理しにくい。
やはり、それなりのインポートのものを、買ったほうがいいみたいだ。

魚なども、脂肪分が少なく淡白な味が多いが、ラプラプや鰆(さわら)は、非常においしい。
特にラプラプは、新鮮さが命で、店を選ばないとひどいものを掴まされることも多々ある。
ましてや、スーパーマーケットなどで買うのは、論外だ。

友達の別荘が、マニラから車で5時間位離れている太平洋側に面した、インファンタという村にある。
村と云っていい程の鄙びた所だが、そこに行くと朝取れたての魚を、浜辺で買うことが出来る。
ラプラプ、イカ、甘鯛、鰆、アジ、キハダマグロのなど、マニラに卸しに行く前の魚を手に入れられる。
当然、浜値なので格安で、一番高級魚とされるラプラプでも、1kg120ペソほどで、買えてしまう。

ここのラプラプは絶品で、中華風に香草を詰め込んで蒸して、ごま油に醤油を合わせて熱した物を、最後にソースとして掛けて頂くのだが、身が本当にぷりぷりとして、食べた瞬間のごま油の香ばしさといい、香草の香りと相まって、最高の食材と云っていい。
甘鯛も、日本の本場である若狭の国(福井県)で、以前食べたものより、かなり美味しく感じた。

それもその筈で、まだ生きているやつは血抜きをして生け締めし、マニラまで持って帰るのに、保存を良くする為に氷をふんだんに使い、氷やけをさせないためにシートを敷き、その上に魚を並べて再びシートを敷き、その上に氷を被せるという、完璧な保存方法で行う。

美味しい物を、一番美味しい方法で持ち帰り、最高の料理方法で調理すれば、全く別物の味になるというのは当然だが、ここフィリピンでは、結構それが困難だ。

市場で売られている魚は殆んど、氷水に浸されて送られてくるために水っぽく、種類や鮮度の違う魚をごちゃまぜにして、同じ容器に入れられているので匂いが移り、折角の鮮度を台無しにしてしまっている場合が多い。

取り扱い一つで、こうも食材に違いが出るものだが、マニラでもバクラーランのシーサイドマーケットや、カルテマールのマーケットでは、割と保存状態のいい魚を買うことが出来るが、値段はそれ相応に高いものになっている。

マグロであれば、そのカルテマールの魚売り場の一角に、日本人が経営されている魚屋があって、そこへ行くと適正な値段で新鮮なマグロを売って貰えることが出来る。
時には、本マグロも手に入り、1kgが400ペソくらいなので、超お買い得だが、メトロマニラにある日本料理店は、殆んどそこで仕入れるので、時間を見ながら、早朝に行った方がいいかもしれない。

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フィリピンの食材 2 [雑記帳]

フィリピンの牛肉は、全体的に硬いというイメージがあるが、専門家の人達に言わせると、硬いのは、熟成が足りないせいだという。

日本では、落としてから最低10日間位寝かせて、充分熟成させてから出荷するといわれる。
ところがこの国では、落としたその日に出荷する為に、熟成が足らず硬くなる、という訳らしい。

では、そういう熟成された肉が、ここには皆無であるのかといえば、そうでもない。
あるところにはあるのだが、それなりの値段はする。

インポートで日本の肉が必要なら、日本食材店にいけば、冷凍肉として売っている。
あとは、外国人を対象としたミートショップとして、私はSANTISを利用している。

SANTISは、マカティにも、グリーンヒルス他、メトロマニラを中心に9店舗あり、各種類の肉を始め、チーズ、ハム、ウインナ−等の加工食品も取り扱っている。

私はこの内の、アラバンにあるフェスティバルモールの中にある店を利用しているのだが、ここのハムやウインナ−は、日本のものと比べて遜色なく、毎週のように仕入れに行くのを楽しみにしている。

中でもお気に入りなのは、PINE HONEY HAMだ。
日本のロースハムに似ているのだが、これにチーズを入れて巻き、少し火を通して、酒のつまみとして食べるのは、至上の喜びと云える。
中に入れるチーズの種類も、時々変えてみると、独特の風味が変わり、一層色々な味が楽しめる。

肉の部位は、日本とは勿論表示が違うので、注意が必要だ。
参考までに...............http://www.usifinder.com/jpn/information/meat/

豚肉はともかく、鶏肉はやたら骨がましいので、少し苦手である。
但し、これも探せばいいものが見つかる。

昨今問われる、食の安全性を考えれば、ブロイラー工場で、保存液に浸けられて、何日もたってから出荷される鶏肉は、不健康で、最悪なのは云うまでも無い。

タガイタイの方に、日本人の方が経営されている鶏舎があり、何でもフランスから雛を輸入し、無農薬の野菜をエサにして、与えて育てた鶏肉や卵を、分けて下さる所がある。

鶏肉はブロイラーのものと比べて、骨がましくはなく、臭みも全然無い、味の深い絶品だ。
卵に至っては、黄身がオレンジ色に輝いていて、こんもり盛り上がっていて、これを、あつあつのご飯の上に掛けて食べる、卵ご飯は最高である。

只残念ながら、こちらに在住の日本人の方の、胃袋を全部満たすほどの、生産能力は、まだ無い様で、キチンとご紹介出来るのは、もう少し先になるかも知れない。

その時がくれば又改めて、紹介の記事を、書かせて頂くことにする。

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あるクラブの新人教育! [雑記帳]

今日は、新人教育について述べたい。
新人教育と云っても、会社のではなく、あるクラブに入ってきた、新人の女の娘の教育の話である。

先日の川下りが終わった後、私の上司と合流し、お客様を連れて、マカティのパサイロードにある、台湾料理店で火鍋を食べた後、ブルゴスにある「J」、というクラブに飲みに出掛けた。

お客さんは、自分で指名した女の子と、我々とは離れたテーブルに座ったので、私と上司は、少々肩の荷が降りたような感じで、リラックスして過ごすことが出来た。

上司の方は、その店では常連らしく、何時も指名しているらしい綺麗な女の子を呼んで、隣に座らせていたが、リクエストをしなかった私には、入ってまだ二日目の、新人の女の子が隣に付いた。

特に、日本人相手のクラブではないので、話す言葉は英語かタガログに限られている。
19歳だというその新人の女の娘は、いろいろ話をしている内に、私の、「君は、ひょっとしてまだバージンか?」、の問いに、「そう、私はまだ処女なのよ」、とタガログ語で答えた。

色は少し黒いが、中々可愛い娘だったのだが、その手のことが、可能な店だったので、少々おかしいなと思ったのだが、 いわゆる、ダンサー専属として入ったのだ、と聞いて納得してしまった。

私は、彼女一人で充分だったのだが、上司が、新人の女の子は疲れるからと、もう一人、23歳のベテランの女の子を呼んでくれた。

23歳でベテランとは可哀相だが、そこの店では勤めが長いらしく、ハキハキと物を喋る子で、明るくて会話の上手な、頭の良さそうな娘だ。

右手に新人、左手にベテランと、私を挟んでの会話が、思いも寄らぬ方向に行って、楽しかった。
左手のベテランの女の子が、右手の新人の女の子にお店での振る舞いや、心構えなどに付いて講義を始めたのだ。

客が、こう云ったらこうしなさいとか、こういうタイプのお客さんには、こんな会話がいいとかである。
そこまでなら良かったのだが、次第にエスカレートしてきて、私の股間を触りながら、上手なお客の喜ばし方まで、実践を始めたのには閉口した。

新人の娘が躊躇しているので、ベテランが少しいらつきかけていたので、私が、「この娘まだ処女なんだから、お手柔らかにしてよ」、というと、ベテランが、びっくりしたように云った。

『何、あんたまだ処女なの! 駄目よ早く捨てなきゃぁ。』
『アテ、私まだ19歳だし、ダンサーで入ったんだから、そんなのって急ぐ必要なんてないわ。』
『バカ云っちゃ駄目よ、手っ取り早くお金を稼ぐには、これが一番なのよ』
そう云いながらベテランが、私の股間を強く握り締めた。

『でも、私は処女だから、まだそんなの恐いわ。』
『処女なんて早く捨てなきゃぁ駄目よ、でもタダで捨てちゃあ勿体ないわ、 あんた、恋人いるの?』
『いません.......』
『それごらん、だったら高く売るのよ、間違っても、お金の無いピノイなんかにあげちゃあ駄目よ、あげるのならやっぱり、お金持ちの外国人ね!』

それを聞いていた、新人の女の子の目が段々と、いきいきと輝き始めてきた。
ベテランの女の子は、それを見て気を良くしたのか、調子に乗って話を続けていった。

『まあ処女をあげるのも、最低10万ペソね。』
『10万ペソ!!』
新人が、驚いて声を上げた。

『そうよ、10万ペソは最低貰わないと損だわね、だって一生に一度しか売れないんだから。』
得意そうにベテランがそう喋るのを、『ちょっと、待って!』、と私が口を挟んだ。
『最近、ペソ高だから、外国人もお金が無いかも知れないよ、もう少し安くしないと駄目かもね!』
それを、聞いたベテランも、私に向かって頷くようにして答えた。

『そうね、今はしょうがないかも知れないわね、じゃあ、思い切って5万ペソでもいいわ。』
『アテ、5万ペソでもいいわ私!』
いきなり、処女がそう云った。

『そう、分かったわ、私に任せなさい、でももし、相手が3万ペソしか無いって云ったらどうする?』
『我慢します!』
新人がきっぱりと、答えた。

いつのまにか、新人も私の股間をまさぐってきていた。
二人の女の子に、股間をまさぐられながら、私は云った。

『云っておくが、俺は買わんよ!!』
パッと二人の手が止まって、腕を引っ込めた。
二人共突然、我に返ったみたいだ。

『あ〜ら冗談よ!』
ベテランは、そう云って誤魔化してきたが、絶対本気なのは間違いあるまい。
これで又、近い将来に処女を失う女の子が生まれることになる。
そしてまた、それをエサにコミッションを得るベテランの女の子も.......。

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閑話休題! [雑記帳]


新・鉄じいがゆく マリベールも、part10まで終わった。
この先、まだまだ長くなりそうなので、一回だけ、小休止を入れたい。

フィリピン就労日記も、とうとう鉄じいシリーズの、小説になってしまった。
カテゴリーも、仕事編の18話よりも、遥かに多い51話にまでになってしまっている。

実話を題材にした物語とは云え、最初は彼のことを、このような形で書こうなどとは、思いも寄らなかった。まあ、あるきっかけがあって、書き始めたのだが、こんなに長くなろうとは、と自分でも驚いている。

コメントを頂いている、皆さんのお蔭だと感謝しているのだが、励ましや、次のストーリーの続きが
早く見たい、などと云われると、ついつい調子に乗ってしまい、ここまで書いてきてしまった。

書いているうちに気が付いたのだが、私は、本当にすごい友達と言うか、先輩を持っていたのだなあと、改めて、自分でも感心してしまった。
読者の方の反響で、そう感じたのだが、ここまできたら、最後まで彼のことを、書いて行こうと思う。

型破りの性格や、行動をする人というのは、世の中に、決して、容易に受け入れられるものではない。
そういう意味で彼は、一生、変人で生きていくことに対し、少しも恐れずに、堂々と暮らしていた。

ただ、『わしを理解できるのは、お前だけじゃ、他には居らん』、などと、変な言い方で煽てられて、面倒をみさされた、私だったのではあるが、そう云われると、そんなものかなあ、と、ついつい思ってしまったのだから、鉄じいには、人を惹きつける、そんな魅力があったのだろうと思える。

これからも、彼の活躍?を、応援して頂きたい!

鉄じいの話題は、これ位にして、昨日は皆既月食の話題で、日本も、フィリピンも、持ちきりだった。
日本は、北海道と、九州の一部で見られたようだが、フィリピンでは、ミンダナオのサンボアンガや、
セブ地方で、見ることが、出来たようだ。

しかし、マニラ近郊では、雲が多く、見られるところは、少なかったようで、私が先日訪れた、パグサンファンなどでは、昨日の午後から、強い雨が降り、急に川の水が増水して、川下りに訪れていた観光客が、
帰れなくなったと、今朝のABS-CBNのニュースでやっていた。

その後、出社してしまったので、ニュースの続きは知らないが、取り残されて、夜を、過ごしたとなると、
随分と、不安な気持ちで、一杯だったに違いない。
もちろん、この国のことだから、溺れて死にでもしたら、保証などないであろうから、文字通り、命がけの
川下りになりかねない。

前回行った時は、水嵩が少なく、『地獄の黙示録』、のロケ現場に使われた、という割には、迫力に欠けていたように思われたのだが、昨日、訪れた観光客にとっては、まさに地獄を見たに違いない。
どちらにしても、この国で、何をして遊ぶのも、自己責任で、行うしかないようである。

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