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これにはわろた!!! [フィクション]

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新連載 呂宋漂流記 其の壱 [フィクション]

英造は、マラテの場末にある安宿のベッドの上で、仰向けになり天井を眺めていた。
思えば、嵐のような1週間であった。
全財産を持って、日本で知り合ったPPの女の子を追いかけてきたのはいいが、初日に彼女が家族12人総出で迎えにやってきた後、ロハス沿いの有名高級レストランで、イナゴのような勢いで飲み食いをされた上に、宿泊しているホテルにも、彼女の家族の分、2部屋も追加させられる羽目になった。

そんな日々が、それから5日も続いたのである。
しかも、弟とか妹とか称するガキ共が、自分たちの部屋にも潜入し、彼女とベッドインなど、望むべきもない事態であったのは云うまでもない。
英造は、ただ茫然としてそれを受け入れるしかなかった。
5日後、英造に金が無くなったのを知った彼女とその家族は、蜘蛛の子を散らすようにして去った。

当然と言えば当然だが、英造には、一体何が何だか分からなかったに違いない。
何しろ、フィリピンに来たのは、始めてであったのである。
言葉の問題は勿論、彼女がいなければ、一人では何処にへもいけないのだ。
(しかし、100万円がこんなに早くなくなるとは・・・・)
ベッドの上で英造は、狐に包まれたような顔をしながら、ため息をついた。

思えば、ホテルや飲食店の支払いはもちろん、チップだとか、車のチャーター料とかの名目で、彼女が彼の財布から、打ち出の小槌のように金を引き出していたのを思い出す。
ショッピングモールでは、圧巻であった。
家族全員の服を、上から下はむろん、靴にいたるまで新調させられたのである。
王様のような食事や、新調された服や靴。

彼女はもちろん、その両親や家族は狂喜乱舞したが、英造はその笑顔を見ているだけで舞い上がってしまい、自分の財布を、コントロール出来ずにいたのであった。
財布の中には、千数百ペソしかなかった。
但し、クレジットカードはあるので、あと数日は滞在出来るかもしれないが、たかが知れている。
英造は、顔をしかめながら思案に耽っていた。

悔しいのであろうか?
どうやら、そうでもなさそうである。
むしろ、あんなに鮮やかにお金を持って行かれたことに、清清しさえ感じるほどであったから、この男の今の悩みはそんな小さなことではなかったに違いない。
取り敢えず、ホテルは安宿に変わったが、今すぐ日本に帰る気にはならなかった。

千葉の暴走半島の、ある漁師町に生まれ育った英造は、漁師である祖父や父の跡をついで、漁師一本槍の暮らしをしてきた。
祖父や父は、いつも口癖のように、『漁師たるものは一旦外海に出る時は、死を恐れず命を張って漁をするものじゃ!』、といつも英造に教えてきた。
自然と、死生は考えないように、生きていく習性が身に付いている英造である。

太平洋の荒波に揉まれていれば、そのように達観してしまうものであろうか?
いやいや、これも持って生まれた性格といってもいいであろう。
英造は、生まれて始めて外国と言う所にきたが、最初に訪れたここフィリピンで、何かをやってやろうと言う気になっていたのである。
全く、正気の沙汰ではないが・・・

来たばかりのこの国で、いきなりそういうことを考える人間など、ざらにいないと思うのだが、英造は、ここで自分の何かを試してみたかった。
力と云っていいのか、運といっていいのか、自分でも分からなかった。
漁師の感といっていい。
この国に来た瞬間から、その感のせいで、血が騒ぐのを押えきれなくなったのである。

と言って、今すぐ何も出来るはずは無い。
英造は、やおらベッドから起き上がると、外に出かけることにしたのである。
ホテルの外へ出た。
3月の日差しは、思ったよりきつかったが、もとよりこれ漁師、これくらいの暑さ、何ほどのこともない。
場末のホテル故に、ホテルの周りには、胡散くさい連中が屯している。

英造が、何も屈託も無くそこを通り過ぎようとした時、一人の男が声を掛けて来た。
『お客さん、何処行く?』
『ん?・・・・・』
『あなた、あそこのホテルに泊まっているでしょう?、私知ってるよ。私ホテルのガイドね、ガイド!』
その男は、流暢な日本語で英造にそう云った。



続く・・・・・



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英造がゆく ~呂宋漂流記~ 其の弐 [フィクション]

やはり、タイトルはこの方が落ち着くので、変えてみることにした。(笑)
さて、続きを書こう・・・・・・・
男は、自分はガイドだと名乗ったが、英造はそれがどうしたというような顔をしている。
無視とまではいかないが、あまりに英造があっけらかんとした顔をしているので、その男はやや慌てたように、饒舌になり喋り始めた。

『私、トニーね、あなたのガイドする、大丈夫ね安いだけ、私日本で行ったことある、だから日本語大丈夫ね、あなた行きたい所ある?、カラオケでも、ゴーゴーでも全部連れて行くね・・・・』
トニーと名乗ったその男は、そう一気に捲くし立てたが、英造は、右手の人差し指で鼻くそをほじりながら、ふむふむと頷いているだけである。
暇だから、話に付き合っているだけで、金のない英造にとって、トニーのようなガイドには縁が無い。

英造は、黙って笑いながら、自分の財布を取り出すと、中身をぶちまけて全て曝け出した。
『ほれ、俺の全財産じゃあ、あんたを雇う金も無いどころか、もう何処へも行けんのじゃー』
トニーは、あっけに取られた。
殆ど、小額紙幣ばかりである。
英造は、初対面の人間に財布を見せて、自らの困窮振りを自慢している。

(こんな日本人は、初めてだ・・・・・)
トニーは、少々気の毒になったのか、その訳を尋ねてみることにして、英造に椅子を勧めた。
英造は、マニラに着いてからの事をかいつまんで話したが、トニーは途中で腹を抱えて笑い出した。
英造も、一緒になって笑ってしまっている。
『あなた、本当にいい人ね!』

トニーは、やっと笑いを収めると、英造の肩を叩きながら、こう云った。
『あなた、帰りのチケットあるか?』
『おお、あるぞ~、来週の火曜日が帰国の日になっとる・・・』
来週の火曜日ともなると、あと6日もあるではないか?
(この男は、あと6日間、これだけのお金で暮らす気か?)

トニーは、すっかりあきれ返ってしまった。
無論、ホテルの専属のガイドでもなんでもないのだが、英造が泊まっているホテルの近辺の宿では、スタッフを抱きこんでいて、時々宿泊客を紹介して貰い、その客のガイドをすることで、細々と、生計を立てている男である。
細々とは云うが、客を自分の知っている店に連れて行くので、コミッションも相当にあった。

もちろん、小悪事くらいは平気でやる男だが、根は親切な性質の男であったので、話を聞いて、英造にすっかり同情してしまった。
『あなた、あそこのホテルの支払いどうする?』
ついつい、聞いてしまった。
『いやあ、クレジットカードならあるから大丈夫だろう。』

『それ、何のカードですか?あそこは、VISAしか使えないけど・・・』
英造は、JCBのカードしか持っていなかった。
場末のホテルなんて、VISAが使えるだけましであった。
現金しか扱わないホテルなんかも、ザラにある。
それを聞くと、英造の顔がさすがに青くなった。

一昨日から宿泊していて、デポジットを入れたのは2日分だけだから、今日は、前受け金を、延泊分入れないといけないかも知れない。
トニーにその旨をいうと、彼はすかさずこう云った。
『あなた、チェックアウトするでいいよ、アコの家泊まる大丈夫ね!』
『・・・・・・・・・・・・・・・?』

トニーが笑顔でそう云うと、英造も流石に吃驚したような顔をしたが、トニーの顔に裏が無いのを見て取ると、彼の手を握って、『有難う・・・』、と云った。
英造は、トニーの折角の申し出を受けることにしたのである。
もっとも、裏があったとしても、今の英造からは何も取れないが・・・・・
しかしトニーには、親切心の他に、少し思惑もあったのを、この時の英造はまだ知らない。


土曜日まで続く・・・・・


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英造がゆく ~呂宋漂流記~ 其の参 [フィクション]

トニーの家は、マニラ市のパコにあった。
パコは、ローカルの鉄道も走っていたりして、線路脇のスクワッターなども多く居る場所である。
彼の家は、さすがにそういう喧騒地域にはなく、静かな通りの一角にあった。
何でも、日本占領下当時の、ホセ.ラウレル大統領の家が近くにあるらしい。
トニーにとっては、特別な存在らしく、英造に熱く語ったが、もとより英造には興味の無い話だ。

少し足を伸ばせば、徳川家康のキリシタン禁止令によって、マニラに追放された高山右近の銅像などもあったが、こちらもトニーが案内してくれたにも拘らず、右手の人差し指で、鼻くそをほじってばかりの、上の空で聞いている英造であった。
トニーの家は、持ち家であった。
白い、割と大きい造りで、ちょっとした花壇もある立派な家である。

英造は、流石に驚いたようで、家の中をあちこち眺めながら、首を振りながら感心していた。
『ほほう、立派な家じゃのう・・・』
壁に掛かった絵画なども、おしゃれで洗練されていた。
聞けば、全てトニーが、一代掛かって建てたのだという。
今では、ガイドだけではなく、奥さんにレストランの経営もさせているらしい。

(人は見かけに寄らんものじゃのう・・・)
家の中を全て見終わると、英造は、トニーから、ここがあなたの部屋だと通された一間の、ベッドの上でくつろぎながらそう考えていた。
(一体、どうやってこんなに立派な家を建てたんじゃろう・・・)
考えれば考えるほど、不思議な男のようである。

英造は、トニーに勧められるまま、何の気なしにこの家に来てしまったが、正直ここまでの待遇を受けるとは思っても見なかった。
洗濯物を出せと云われたので出すと、全てトニーのメイドが洗ってくれた。
風呂場も、バスタブこそさすがにないが、温水シャワーがついており、部屋の調度なども、ホテル並と云ってよかった。

晩飯も、トニーの奥さんが経営しているレストランから運ばれてきて、ビールもしこたま勧められるほどで、お金の乏しかった英造には、夢のような心地であったのである。
夕食の席で、英造はトニーから一人の女性を紹介された。
23、4であろうか、顔は幼顔だが均整の取れた体つきの、英造好みの女性のようだ。
聞けば、トニーの妹だと言う。

但し先天的に心臓に疾患があるらしく、時々起こる発作では、時には人口呼吸が必要になるほどの症状になることがあるらしく、妹はそれを悲観して、家に閉じこもることが多く、よって恋人もいないだとトニーは嘆きながら英造に説明した。
英造は、トニーに尋ねた。
『手術はしないのかい?』

トニーは、首を振り振りこう答えた。
『フィリピンの医者はみなお金ばかりね・・・、手術は、すごくお金掛かるよ!』
英造は、不思議に思った。
こんな立派な家があるのに、どうしてそれ位のお金がないのか?
英造は、首をかしげながらそう聞いた。

聞けば、それを専門に直す医者は、この国でも余程少ないらしく、この家を売ったくらいでは、払えきれないくらいの、高額な手術料を請求されたらしい。
しかし、色々調べて行く内に、日本では健康保険に加入してさえいれば、かなりの負担をして貰えるということを突き止めたのである。
しかも、こちらの医者よりも、遥かに安い金額で・・・・


続く・・・・・


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英造がゆく ~呂宋漂流記~ その四 [フィクション]

英造は、トニーの真意がまだ分からなかった。
但し、激しく同情はした。
その証拠に、英造は泣き出した位である。
『そうか、そうか、可哀相にのう・・・』
トニーの肩を叩きながら、妹の方を振り返って、涙を、腕で拭い去った。

『わしに、何か出来ることはないか?』
思わず、英造はそう云ったが、それを聞いたトニーの目が、一瞬光ったのには気付かなかった。
『英造さん、独身ディバ』
『おう、そうじゃが、その話はさっきした通りじゃ。』
英造は、マニラに着いて、女に騙された話をしていたので、トニーも先刻承知のことである。

『英造さん、私の、この妹と結婚しない?』
『???・・・・・』
『妹のセシルは、まだ23歳だけ・・・恋人も子供もいないよ・・』
『い、いきなりかよ・・・』
英造は、はっきり言って戸惑った。

セシルも、自分のことを言われて分かっているのであろうか、うつむいたまま恥らっている。
英造は、トニーがどうして自分を家に、連れて帰ったかが分かった。
妹に手術をさせる為に、日本人と結婚さそうと考えたのである。
(したたかなやっちゃな・・・)
英造は思ったが、一方でセシルには、充分惹かれている自分である。

ついついOKだと云いそうになったが、そこは用心することにした。
何か裏でもないかと、疑い始めたのである。
いかに海の男で、気性がさっぱりしていても、結婚ともなるとさすがに別であろう。
慎重にならざるを得ないが、トニーの話を聞くうちに、そこに裏は無いように感じてきた。
セシルとも2、3会話してみたが、日本語が少しは分かるらしく、性格は良さそうである。

ともあれ、トニーの語調は、段々と熱を帯びてきた。
妹を思う気持ちが、きっと溢れているのだろう。
熱意を持って、英造に勧めるのである。
英造は、少しづつ、トニーに追い詰められていくような気がしてきた。
食事が終わり、リビングでブランデー飲みながらも、その話が続いていた。

英造は、そこでセシルの横に座らされた。
もはや、酒の酔いで、意識が朦朧としてきた英造である。
横に座っているセシルを眺めながら、最早、PP状態に陥れられたと言っていい。
セシルの可愛さも手伝ってか、最後には、積極的に結婚の承諾をしてしまった英造である。
トニーの喜びと来たら、もう他に例えようもないくらいだ。

英造に、握手とキスの嵐を与えていた。
セシルも、英造には好意を持っているのか、兄が勝手に決めたようなことに、反抗することも無く、ただおとなしく、身を任せているような感じである。
生れ付きの病を持つ身にとっては、兄の力がないと生きていけないだけに、兄であるトニーの云うことには、一も二も無く、従おうと決めていたのかも知れない。

ともあれ、英造は承諾した。
その後の帰国までの5日間は、セシルとデートなどもして過ごすことになったが、一つ問題が発生していたのである。
問題とは、トニーの奥さんにあった。
彼女が、猛反対を始めたのである。


続く・・・・・


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英造がゆく ~呂宋漂流記~ 其の五 [フィクション]

トニーの奥さんは40歳。
云い忘れていたが、トニーは42歳。
末っ子の妹とは、19歳はなれているが、これくらいの年の差は、フィリピンでは珍しくはない。
対する英造は43歳、男盛りであった。
トニーは、妹思いである。

妹には、手術をすることによって、身体の健康を取り戻して欲しいのと、人並みに結婚生活を送らせてあげたいという気持ちで一杯であった。
その為に、少しくらいの悪さはするが、経験なカトリック信者である彼は、全ては妹のためだと、信じて疑わなかったのである。
フィリピン特有な身勝手な考えだが、自分を正当化する大義名分には、欠かせなかったのだ。

しかし、何がトニーの奥さんには、不満があったのであろう。
彼女の名前は、ジェシカという。
ジェシカは、英造を最初は歓待したが、お金持ちではないことを知って、急に態度を豹変させた。
トニーが、手術費は自分も出すというのに対して、反対を唱え始めたのだ。
(何故、トニーの妹の為に、そこまでしないといけないのか?)

彼女は、不満であった。
(あれだけ扶養してやったのに、たたで日本人に呉れてやるなんて・・・)
お金持ちならまだしも、何でお金がない英造にと、考えただけで腹が立つのだった。
しかしトニーは、ジェシカの言うことには、耳を貸そうともしなかった。
トニーも商売柄、色々な日本人と付き合ってきた。

みな、それぞれに個性があるが、英造はトニーが心配になるくらい、開けっぴろげな男だった。
(この男なら、妹を任せられる。)
トニーの、直感といっていい。
お金のことなどは、関係ないとまでは言わないが、そこそこ暮らしていけるだけの、経済力のある男であり、女に騙されても、笑っているだけの度量に、魅せられたのかも知れない。

ジェシカは不満だらけだったが、夫のトニーが自分の意見を曲げないので、イライラしながらも、しぶしぶ承知せざるを得なかった。
しかし、この彼女の不満が、いつか爆発するとは、まだ、誰も知らなかったのである。
英造は、マニラまで追いかけてきた女のことなど、頭の隅からも消え去っていた。
すっかり、世間ずれのしていないセシルに、嵌まり込んだのでる。

トニーも、いささか拍子抜けするくらいの、英造の態度であったが、無論、嬉しいには違いなかった。
今までも、他の客に話を持ちかけようとしたこともあったが、殆どが買春目的の客ばかりで、自分の妹であるセシルを、そんな男たちに紹介するのは、躊躇われたのである。
ともかく、ジェシカの反対はさて置き、英造は、一旦帰国の途に着き、数ヶ月の地に結婚の手続きに入るために、再渡比の計画をたてることとなった。

トニーは、英造の為に、お土産まで買ってやり、空港まで送っていった。
セシルももちろん、同行である。
ジェシカは、気分がすぐれないと云って、ついては来なかった。
こうして英造は、一人のフィリピン人女性と結婚することになったが、この先の自分の人生が、これによって大きく狂わされることに、まだ気付かずにいたのである。

英造は、空港に向かう途中でも、セシルの手を握って離さなかった。
この男の特徴で、嬉しい時は片方の眉毛が、ピクピクと自然に動く。
今は、全開で動きまくっていた。
正に英造は、嬉しさの絶頂にいたが、彼はその時、日本で、大変なことが待ち受けているとは、まだ知らずにいたのである。


続く・・・・・


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英造がゆく ~呂宋漂流記~ 其の六 [フィクション]

英造は、マニラ空港ではもっと舞い上がってしまっていた。
別れ際に、セシルが片頬にキスをしてくれたのだ。
成田に着くまで、英造はそれを思い出すたびに、片眉をピクつかせながらニヤニヤしていたので、恐らく他の乗客からは、気が触れていると思われたに違いない。
とにかく実家に着くまでは、夢心地の英造であった。

実家に着いた英造は、夢から覚めざるを得なかった。
英造のおやじの豪造が、鬼の形相で待ち構えていたのだ。
豪造は、息子がフィリピンなどに行くことには反対であったのだ。
大事な漁期に、10日も休むなど、昔気質の父親には、到底受け入れられなかったのである。
英造は、父親には黙ってフィリピンに行った。

43歳に今に至るまで、結婚もせずPPクラブに入り浸っている息子に、今度こそお灸をすえてやると意気込んでいた所に、英造が、逃げ出すようにフィリピンに飛び立って行ったのである。
2~3日家で見かけないので、漁協に問い合わせてみると、何と、そこの専属の旅行会社の方で、フィリピン行きのチケットを買ったことを知った。
知りはしたが、後の祭りである。

連れ合いである英造の母を、5年前に亡くした豪造ではあるが、そうかといって、別にフィリピン人に対して、特別な悪意を持っているわけではない。
問題は、英造にあるのだ。
漁師が海に出ず、陸で遊んでばかりいるのを嘆いているに過ぎない。
自分が生きているうちに、英造を1人前にしておくことこそが、豪造の夢である。

15歳の時から、海にでている豪造である。
英造は、大学を出てからサラリーマンになったが、ある事情で辞めてしまい、豪造の跡継ぎになって、今がまだ10年目である。
10年と言えば、かなりの経験だと思うが、漁師歴50年の豪造にとって見れば、英造など、いつまで経ってもひよこ程度にしか見えないのかも知れない。

ともあれ英造は、玄関先で親父の豪造の姿を認めると、一目散に逃げ出そうとした。
その後ろから
『待てい・・・!!』
凛とした、豪造の野太い声が、英造の足を思わず止めてしまった。
小さい頃からの、習性であろう。

昔から、親父のこの声には、弱かった英造である。
『な、何じゃ、お、親父い?』
英造は、それだけ言うのがやっとであった。
『おのれは、どこへ行っとんたんじゃ?』
『・・・・・・・・』

『フィリピンに行っておったのは、調べがついておる。 どうしてわしに隠して行ったのじゃ?』
『いやあ、云ったら反対されるのは目に見えとるわい!、だからわしも云わなんだのだ。』
『フィリピンに何しに行った?』
『うっ・・・・・・・・』
英造は、この質問には返事に窮した。

まさか、PPの女の子を追いかけて行ったとも云えず、まして違う女の子と結婚の約束までしてきたことなど、口が裂けても云えない。
知れば、豪造も卒倒してしまうかも知れない。
仕方なく、英造は嘘をつくことにした。
しかも、相当慌てていたので、突拍子も無い嘘を・・・・・


続く・・・・・


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英造がゆく ~呂宋漂流記~ 其の七 [フィクション]

『お、俺はのう親父!、ふ、フィリピンの海で、漁師の修行を積んで、き、来たんじゃ!』
『な、何じゃと?』
『おやじは知っとるか、フィリピンじゃ魚探(魚群探知機)や、GPSなんぞを使わん昔ながらの漁ばかりじゃ、みんな漁師の直感や山立てだけを頼りに漁をしとる、わ、わしはそれを体験しに行った。』
『ほっ、ほう・・・』

『日本は今、ハイテクばかりの漁のスタイルじゃ、それじゃあ本当の漁師の感は養えんと前から考えとった、それでフィリピンまで行って、実地で、感だけの漁を体験してきたという訳じゃ。』
『だったら、何でここの海で同じ事をせなんだのじゃ、無理にフィリピンでなくても良かろうに・・』
豪造は、簡単には言いくるまれまいぞというように、英造にそう云った。
普段の英造であれば、ここで言葉が詰まってしまうのであるが今回は違った。

『そりゃあ、駄目じゃ親父!、考えても見てくれ、俺もここでは10年も漁をしてきている、別に魚探がなくても、ある程度の地理が分かるので面白うはない、又別の海に出るにしても、違う漁協のテリトリーまで侵してするようなことではないし、そう考えて俺は、わざわざフィリピンの海を選んだんじゃ・・・』
『ムム、そうか、そういう訳じゃったかい?、何とお前がのう、喜ばしいことじゃ、所で、何でお前はわしにそのことを相談せなんだのじゃ?』

『俺ももう1人前じゃあ、そんだらことで、いちいち親父に相談することじゃあるめえ・・・』
『お、おお、お前も成長したのう、それでこそ、わしの息子じゃ、所で何か得るものはあったんか?』
『いやあ、たった1回しか行かずに、そう簡単にフィリピンの海は分からん、近いうちに又行くつもりじゃ、その時は、親父も金を援助してくれよのう!』
英造は、親父の豪造の機嫌がいいことに、調子に乗ってそう云った。

『おお、ええともええとも、今度はわしも一緒に行く、こりゃあ楽しみじゃ、わしは日本の海しか知らん、外国の海っちゅうものは、どんなものか知っとくに損はあるまい、うわっはっは!!』
英造は、顔が青くなった。
まさか、そういう返事が返ってくることなど、夢にも思わなかった。
このままになると、セシルとの婚約話など切り出せそうにない。

英造は、調子に乗り過ぎたことを後悔したが、すでに遅い。
親父は、早速預金を下ろすのと、フィリピン行きのチケットを予約するために、漁協に走っていった。
何と英造が帰宅して、まだ1時間にも満たない出来事である。
自分が撒いた種とはいえ、セシルとの結婚はどうなるのであろうか?
英造の心の中は、先程のウキウキ気分が吹き飛んでしまい、暗澹とした空気が支配していた。

(こりゃあ早速トニーに連絡して、対策を練らずばなるまい)
英造は、賢明にもそう考えた。
すぐに国際電話を掛けたが、トニーにそれを説明するのには骨が折れた。
トニーとて、日本語が完璧に話せる訳ではない。
理解して貰うために、英造は、かなりの時間と労力を費やしたのである。

しかし、流石にトニーである。
事情が飲み込めると、すばやく頭を回転させ始めた。
早々に、船は用意できると言う。
そうして、前回もその船に乗ったことにすれば良い。
船頭にも、それを言い含めて置く。

トニーは、フィリピンでのガイド役ということにして、前回滞在中に、妹であるセシルとも仲良くなった。
今は云えないにしても、こちらに来た時にでも、妹を豪造に紹介し結婚の許可を貰う。
矢継ぎ早にトニーがアドバイスを呉れるので、英造はそれを聞いて、片眉が自然に動き始めた。
嬉しくなったのである。
(これなら何とか、親父を納得させられるかも知れない・・・)


続く・・・・・


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英造がゆく  ~呂宋漂流記~  其の八 [フィクション]

英造は電話を切ると、先程の暗雲がさっと消えて、頭の中に虹が掛かってきた。
トニーが、何とか絵に描いてくれるようなので、こうなれば逆にラッキーであろう。
前回の飛比で、持金、全部使ってしまっているのだ。
結婚の手続きのために、飛比を急がなければならないが、先立つものはない。
数ヶ月は飲み食いを控えて、貯蓄を始めなくてはと覚悟していた所だ。

そこに来て、親父のフィリピン同行ということにでもなると、一石二鳥ではないか?
うまく親父を説得できれば、結婚の手続きもすんなり行えるかもしれない。
英造は、ほくそえみながら、親父の豪造が漁協から帰ってくるのを、待ち受けることにした。
千葉の房総半島といえば、昔から捕鯨で有名な所だ。
今は廃れたが、豪造も昔は捕鯨船に乗り、豪快な鯨漁に参加したものだ。

それが今では、昔の同僚などは、観光定置網船などを扱うようになってしまい、このままでは、どんどん漁が廃れていくように思えてならない豪造であったのだ。
そこに来て、英造の軟弱ぶりを見ていて、正直がっかりしていたのだが、あの英造が、まるで目覚めたように自分の意思を継いでくれそうなをことを言ったので、豪造は、嬉しさを隠せなかった。
本心を知れば、卒倒するかも知れないが・・・・・

英造は待ちくたびれていたが、豪造は夜遅くなって家に帰ってきた。
帰ってくるなり、
『ヒデ、おいヒデはおらんのか?』
と叫ぶように云った。
英造は、飛び出しようにして自分部屋から出た。

『どうしたんじゃ、親父!』
『喜べ!わしがのう、漁協でお前の話をしたら、組合長をはじめ、皆が賛同してくれて、それなら漁協でツアーを組んで、みんなで行こうということになったんじゃ!』
『ひぇっ!』
英造は、魂がひっくり返るくらい驚いた。

『す、す、す、すると何かい親父、み、みんなで行くのけ?』
『おうよ、組合長はじめ、最低でも7~8人は固かろう、皆でフィリピンの漁を堪能するんじゃ、こりゃあ楽しみじゃわい、おっ、そうじゃった、丁度源じいもおってのう、源じいにも声を掛けたら、喜んで付いて行くと云いよったぞ!』
『げげえっ・・・・・』

英造は、心臓が止まりそうになった。
源じいとは、本名を源三と言って、年も80近いくせに底抜けの大酒のみで、しかも喧嘩が早いときていて、気の荒い漁協の組合員の中でも、相当な暴れん坊のじいさんだ。
英造にとっては、大の苦手で小さい頃から、悪さをすると、決まって源じいの所に連れていかれた。
源じいは、英造を縛った上、木から吊るしたりして折檻をする。

源じいは、近所の親連中から頼まれると、進んでそういう役目を担った。
要するに、子供たちから恐れられる存在として、地域では尊重されてきた。
現に、子供たちの誰もが、源じいのことを恐れて、親の言うことに従ったものだ。
英造は、源じいのことを、鬼源、鬼源と呼んでいた。
鬼の源三と云う意味であろう。

(他の人はともかく、あの鬼源まで行くのか・・・・・)
英造は、気が遠くなった。
セシルの顔が浮かんできたが、この分ではどうなることか・・・
話が意外な方向に動いていったので、英造も戸惑っているが、作者の方もまごついてきた。
こうなると、いつもの手を使うに限る!!


続くと・・・・・・(爆)


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英造がゆく  ~呂宋漂流記~  其の九 [フィクション]

鬼源こと源じいは、当年とって78歳になるが、未だにその気力や体力は衰えていない。
いや、老いてますます盛んと云ってもよい。
連れ合いは、とうに亡くしてはいたが、隣の漁師町には、愛人を囲っているとの噂もある。
未だに精力絶倫という源じいだけに、英造は未だにこの鬼源が恐かった。
源じいの家の前を通る時などは、未だに息をひそめて通る癖がついているくらいだ。

英造は憂鬱になったが、これも宿命(さだめ)であろう。
翌日から、フィリピン行きは大々的に宣伝された。
英造の予想に反して、何と、30人からの申し込みがあったが、ある組合員の女房が、フィリピンに行って、買春でもするのではないかと言い出したところから、いったん申し込んだ人達が辞退をし始め、最終的に、総勢12人の団体になることに落ち着いた。

出発日は、英造が帰ってから僅か15日目の日に決まった。
ホテルやツアーガイドなども、漁協指定の旅行者に任そうとしていたのを、英造が食い止めた。
英造は、トニーに連絡を取り、迎えの車の手配や、ホテルの手配まで頼むことにした。
何故ならば、英造には、思惑があったのである。
みんなには、ホテルに泊まらせ、自分は、トニーの家にステイしようと考えていた。

これなら、セシルにもいつでも会えるであろう。
さて、そう自分の思惑通りに行くであろうか?
その話はおいおいとするにして、いよいよ出発の日が近づいた。
豪造や源じいなどは、海外に出たことばど一度も無かったので、パスポートの取得から始めねばならなかったが、他の組合員は、みなそれぞれに持っていたので、苦労はいらなかった。

何とか、2人のパスポートも間に合い、いよいよ、マニラに向けて出発とあいなったが、この連中の騒がしさといってはなかった。
源じいなどは、一升瓶を手にさげたまま機内に持ち込もうとしたし、組合長の権頭(ごんどう)からして、客室乗務員の女の子のお尻を触ろうとして悲鳴を上がらせていた。
問題が起きる度に、駆り出されるのは英造である。

何せ、彼がここでの先導役なのだ。
いわゆる、添乗員といってよかった。
道中の面倒は、一切彼が見なければならない。
酒癖女癖の悪い連中を、どうコントロールしていけばいいのであろうか?
英造は今、試練の道に立たされていたといっていい。

英造とて、経験者とはいっても、フィリピンはこれで、たったの2回目なのである。
源じいは、客室乗務員から酒をもっと寄こせと噛み付いているし、父親の豪造でさえ、源じいにビールをしこたま飲まされて、上機嫌で大声を上げていた。
(ああっ・・・・・)
英造は、頭を抱えてしまった。

この連中が、マニラに上陸したら、一体どうなることであろう!?
(宿泊先を別にするなど、所詮無理かもしれないな。)
そう考え始めた、英造である。
(くそったれ、もうどうにでもなりやがれ・・・)
開き直った英造は、皆の仲に混じって飲み始めた。

そうこうする内に、飛行機は無事にマニラ空港に降り立った。
降りるときに、フライトアテンダンスのチーフらしい男から、今回は大目に見るが、次回からは搭乗を拒否するかもしれないと脅された。
英造は、何とか全員を纏め、入管、税関を通り過ぎ、無事に空港外に誘導することに成功した。
一気に、数年分の仕事をしたような、気分になったのは云うまでも無い。


続く


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