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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第一六回 『もう一つの旅立ち』 [フィクション]

痛風になったおやじは一先ず置いといて、話を鴨野達一行に戻そう。
神事屋一行に遅れること数刻後、阿鸞を案内人にして一行は、意気揚々と提督邸を後にした。
オスカル提督夫婦は、『ほな気いつけてなあ・・・!』、と言いながら見送ってくれた。
鴨野は、『皆の者、気をひき締めて参ろうぞ!』、とハッパを掛けたが、出発からまだ一刻も経たないうちに、馬造が、『ああ、腹減ったあ』とへたりこんだので、大橋ととろ吉に、ぼこぼこにされていた。

『ああ、兄さん達、アイタタタタタタタ!』
そう言って喚いているが、実はこの男に取っては、これが快感なのである。
早めの昼食を済ました一行は、安泰幌を目指して、どんどん進んで行く。
途中で、案内人である阿鸞が、鴨野に安泰幌の説明を始めた。
彼の説明とは、こうである。

黄金と共に、安泰幌に逃れた山奥屋鶴兵衛達一行は、そこで姿を消した。
当時の安泰幌は、現在に比べて相当未開の地である。
近年は相次ぐ住宅開発で、道路事情も格段に整備されてきた。
が、当時は山越えも大変な上、山賊までもが生息している危険地帯で、オスカル提督の祖先のラスカル提督も、このゲリラ的存在に悩まされ、追跡の手を諦めざるを得なかったのだ。

オスカル提督の代になり、ラスカルの日記を元に探索してみたが、全然手掛かりが見つからない上、山賊が今でも健在なので、容易に手が出せない。
しかもその山賊は、恐らく山奥屋鶴兵衛の手下であった者達の子孫らしく、安泰幌の秘境を守るために、存在しているのではないかと言うのである。
その証拠に、今でも彼らは、日本語を使っていると言う。

全くもって謎だが、日本人のことなら日本人なら分かるだろうと言う、オスカル提督の思惑だ。
阿鸞の説明を聞いた鴨野は、(これは容易なことじゃないぞ)、と思った。
山賊がはびこっている話など、聞いていなかったからだ。
この一行で、戦闘の役に立ちそうなのは、自分と大橋、そしてとろ吉位のものであろう。
勿論、怪我をした時には良庵がいるから多少は安心だが・・・・・

鴨野は、取留めの無いことばかりを考えていた。
(そうだ、ここは萬久殿に相談してみよう。)
そう思いついた鴨野は、萬久に近づき話し掛けた。
そして、山賊の話を持ちかけたが、意外にも彼は、『全然恐れるに足りず!』、と言う。
『いざとなったら、ここに火薬弾がありますよ。』

萬久はそう言って、自分の荷物の中から、筒のような物を取り出した。
『この筒の導線に火を付けますと、中に入っている火薬に引火し爆発します、まあ、一つの火薬弾で3~4人の敵は倒せましょう。』
『ほほう!』
鴨野は驚いた。

萬久が、このような物騒なものを持っていることに、驚きを隠せなかった。
『いやあしかし、萬久殿がこのようなものをお持ちとは・・・、意外で御座るのう。』
『ああ、い、いやこれは密貿易で手に入れた物でしてな、南蛮渡来の品物で御座います。』
萬久は、内心ドキっとしながら、慌てて言い訳をした。
甲賀の飛び道具だとは口が裂けても言えない、萬久こと菩薩の化身である。

(おや、あれは・・・・・)
一行の後ろの方にいた松五郎は、目ざとくも、萬久が取り出した火薬弾を盗み見た。
(あれは、甲賀に伝わる火薬弾ではないか・・・?、何故あの男があのようなものを?)
流石に松五郎も、公儀お庭番の血を引く伊賀の忍者である。
大橋に美国猛男を盛られ、一時は廃人のように見受けられたが、これで目を覚ましたようだ。


続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第一五回 『神事屋の悲劇』 [フィクション]

『うひゃひゃひゃひゃ・・・』
神事屋が、思わず飛び起きた。
猛烈な、腹痛に襲われたのだ。
『かっ、厠(かわや)じゃー、かかか厠じゃー!』
もう、てんやわんやの大騒ぎである。

隣で寝ていた、リコのの身体を蹴飛ばして、便所めがけて飛び跳ねて行った。
数分後、少しすっきりした顔で戻って来たが、暫くするとまた腹痛が襲ってきて、すぐさに便所に駆け込むことを、十数回も繰り返さねばならなかった。
お陰で、リコもちっとも寝られはしない。
数分置きに便意が襲ってくるので、神事屋はここ数時間の内に、げっそりとやつれてしまった。

外でその様子を伺っていた三河屋は、その神事屋の慌てぶりを見て、声が出して笑うのを、堪えるのにもう必死であった。
(まことに、菩薩から貰ったこの甲賀秘伝の下し薬は良く効くわい、へへへ、神事屋ざまあみろ・・』
三河屋は、もう楽しくて仕方が無かった。
殺すとか何とか物騒な復讐とかよりも、三河屋はこういう復讐の方が、百倍も好きな男である。

もはや次なる手立てを考えて、神事屋を、どう苦しめるかを考えているくらいだ。
そうとも知らない神事屋は、原因不明の腹痛に悩まされ、とうとう厠で夜を明かす格好になった。
しかも、夜中に騒いだのと、明け方になっても厠を神事屋が独占していたことで、民家の家族から顰蹙を買い、可哀想なことに、そこを追い出される形になって、一行四人は再び旅の空に出た。
当の神事屋は勿論、騒ぎで寝られなかったリコや女達も、もうふらふらである。

しばらく道を歩いたが、今度は民家が全く見当たらなくなってしまった。
神事屋は、相変わらず下痢が止まらない。
時々林の方へ行き、腰を屈める作業を、幾度となく繰り返している。
亀よりのろい道中とは、このことであろう。
歩いても歩いても、次の民家が見つかるまでは、休むわけにはいけない。

地獄の行進は、炎天下の中、ずっと続けられたのである。
神事屋が、もはや脱水症状で意識を失なわんとした時に、その奇跡はおこった。
急に雲が掻き曇り、雷鳴が鳴り響き、凄まじい雨が降り始めたのである。
地獄に仏とはこのことだ。
神事屋は、すんでのところで意識を取り戻したのであった。

雨は、一刻ほどでやんだ。
神事屋一行は、元気を出して、また前へ前へと歩き始めた。
道は少々ぬかるんでいたが、先程の炎天下のことを思えば、遥かにましである。
その内に、次の民家も見つかり、一行は、そこに泊めて貰うことになった。
神事屋は、その汚れた身体をシャワーで洗い流し、横になり昨日からの疲れを取ることにした。

二刻程ぐっすり寝ると、今度はお腹が空いてきた神事屋だ。
リコに頼んで、民家の人間に食べ物を用意してくれるよう頼み込んだ。
しばらくすると、その民家の娘らしきおなごが、もち米を蒸かした饅頭なようなものと、薬にもなると言う地元の酒を用意して、神事屋の元にやってきたのである。
16~17歳位のそのおなごは、神事屋が見てもびっくりするほどの、綺麗なおなごであった。

これはこれはと思ったが、昨日の今日のことなので、自粛して食べる方にだけ専念することにした。
蒸かしたもち米のお菓子は意外に美味しく、地元の酒は胃の腑に染みてお腹を温めてくれるようだ。
『旨い酒じゃのう、これは何という酒じゃ?』
『乱婆脳苦(ランバノック)という、椰子の実を発酵させて蒸留したお酒だそうに御座います。
少女がそう答えたのを、お順が通訳をしてそう答えた。

あまりにも旨いのと、民家の美しい娘の酌で、神事屋はどんどん杯を重ねていった。
その内に、酔が回ってきたのか、自粛していたはずのあちらの欲が、ムラムラと立ち上ってきた。
民家の娘は、どう見ても神事屋の好みのおなごである。
大酔した神事屋は、娘の手を握って、いざ狼藉に及ぼうとしたその瞬間、痛みが全身を走った。
とうとう来たのだ・・・・・痛風が・・・(爆)


続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第十四回 『旅立ち』 [フィクション]

前にも述べたが、当時はまだ、スペインの支配地であったにせよ、その影響下は、フィリピン全土には及んではいなかった。
現在のメトロマニラ迄は支配下にあったが、武羅漢や安泰幌は、手付かずであったと言っていい。
神事屋は、リコの案内で、海岸線を北に上がることにした。
内陸部は、道が発達していない上に、山賊も多いらしい。

今のように、高速道路なども無いから当たり前だが、武羅漢までは数日掛かる見込みだ。
道が良い所までは、オスカルに借りた馬車で行ったが、ラフロードでは当然歩きである。
ラフロードと言ったが、女連れで湿地帯を歩行するのは、正直骨が折れた。
間もなく、還暦を迎えようとしている神事屋に取っては、地獄の苦しみと言っていい。
『ひいひい、はあはあ・・・・』

初日だと云うのに、神事屋はすっかりくたびれて、道端にへたりこんでしまった。
まだ日暮れまでには、相当な時間があるというのにだ。
『も、もうあたしはいかんばい、ここいらで休憩せにゃいけんと。』
こう決めたら、梃子でも動かない神事屋である。
四人は、暫くそこで休むことにした。

リコは流石に、オスカルが選んでくれた男だけのことはある。
日本語は当然駄目だが、神事屋が何を望んでいるのかが察知出来たのか、何処からか、水と食料を調達してきてくれた。
お欄の通訳によると、どうやら少し離れた所に人家があったので、そこから分けて貰ってきたらしい。
神事屋は、与えられた水と食料を食べて、少し元気が出たようだ。

暫くすると、『よし、また歩こう』、と言って、元気よく歩き始めた。
『旦那様、宜しゅう御座いましたわね!』
お順もお欄も、神事屋が元気を取り戻したことを、心から喜んだ。
神事屋は、両腕をお順とお欄に取って貰って、始終ご機嫌な様子だ。
夕刻まで歩くと、一軒の人家があったので、今晩は、そこに泊めて貰うことにした。

地元の夕食は口には合わなかったし、寝る場所といえば、麻を乾かして敷いただけの粗末な寝床であったが、お順とお欄が、按摩をやってくれたので、神事屋は、『ああ、こりゃあ極楽じゃ~』と言いながら、至極ご満悦な様子である。
しかし、こんな幸せが何時までも続いて良いのか?
知らぬこととは言え、部下の萬久が監禁されてとんでも無いことになっているのだ。

誰が許さずとも、作者が一番許さないであろう。
その証拠に、三河屋が近づいてくれていたからである。
この男なら、何とかしてくれるはずだ。
三河屋は、神事屋達が民家に入って行ったのを確認すると、夜になるまで待つと、民家の外から、神事屋達が泊まっている、部屋の前で聞き耳を立てた。

中からは、何やら女たちのキャーキャーと言う声が聞こえてきた。
三河屋は、思わず覗いてみることにした。
何と、女達に按摩をさせている最中に、お尻を触ったり、太股の方へ手を伸ばそうとして、騒がれているのが見えたから、頭に血が上ってしまった。
「う~ん、何と羨ましいことを・・・、畜生、思い知らせてやる・・・・!」

三河屋はそう呟くと、持っていた袋の中から、一服の薬を取り出した。
そして窓の隙間から手を伸ばし、神事屋が飲んでいたと見られる湯のみの中に、その包の中の薬を、全部あけてしまった。
そうして、何食わぬ顔で、そこを立ち去っていったのである。
それから数時間後の夜中のこと・・・・・・・


続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第十三回 『二つの道』 [フィクション]

翌日になった。
ほぼ全員、二日酔いと言っていい。
元気なのは、マイペースで飲んでいた、医師の良庵くらいのものである。
今日からは、財宝探しを本格的に行わなくてはならない。
その前に、お順とお欄を武羅漢(ぶらかん)まで送り届けなければならない。

実際は、鴨野がお順を送り届けたいのは山々である。
しかし、一行の長(おさ)としての使命が、それを許さなかった。
お欄は、馬造と一緒に行動したかったようだが、鴨野に説得されてようやく諦めた。
足手まといになるという事と、やはり、家族には会いたかったのだ。
神事屋は、萬久に武羅漢まで送らそうとしたが、何故か萬久は丁重に断った。

当然であろう。
今の萬久は、甲賀忍者、菩薩の化身なのだ。
ここで別行動にされた日には、自分の使命が果たせなくなってしまう。
こうなったら仕方がない。
元はと言えば、自分の所の従業員のようなものだ。

プロモーターであり、店のオーナーでもある神事屋なので、彼自らが送っていくことにした。
(まあ、武羅漢から少し北へ足を伸ばせば、杏屁令巣(アンヘレス)もある、あそこでゆっくり羽根を伸ばすのも良かろうてウイヒヒヒヒヒ、どうせわしが出資して実現した黄金探検隊じゃ、分け前は、鴨野殿が確保してくれることじゃろう、その方が危険も少ないし・・・)
何とまあ、打算に長けた神事屋ではあろうか・・

流石は、博多商人ではある。
神事屋は、お欄とお順を連れ、一行に先立って旅立って行った。
鴨野達一行も、オスカル提督夫婦が見送る中、道中案内役のアランを先頭に、隊長鴨野、副隊長兼食料調達長に大橋、医師の良庵、萬久(菩薩の化身)、とろ吉、馬造、こう平夫婦、おまけに松五郎というメンバーで、一路安泰幌を目指して出発した。

三河屋は、神事屋に対して、憎しみに近い対抗心を抱いていた。
同じ抜荷を生業(なりわい)にしながら、一方は、幕府の用命を受けて財宝探しの渡比。
自分の方ときたら、お咎めこそ免れたが、計画を壊された上、腹心まで失ってしまった。
神事屋達が出発したのを確認した彼は、復讐の機会を伺う為、3人の後をついて行くことにした。
物語もそろそろ佳境に入ってくが、これからは、2つに別れた道中を描いていくことになるであろう。

先ずは、神事屋の後を追うことにする。
おっと、一つ忘れたことがあった。
本物の、萬久のことである。
菩薩は、たまたま通りかかった野菜商人に、銭を渡して萬久を匿ってくれるよう頼んだ。
ご丁寧に、気が触れているから、常時縛ったままにして置いてくれとも・・・

可哀想な萬久は一先ず置いて、話を神事屋に戻そう。
前にも書いたが、神事屋のホームグランドは北呂宋である。
北部の港からは、武羅漢に行ったことはあるが、馬尼羅からは経験が無い。
この為、道案内を雇った。
端役なので名前はないが、仮にリコとでもしておこう。

リコは、オスカル提督の屋敷に仕えていた小者で、気はしが効くというので道案内にしたのだ。
その頃の馬尼羅は、アバカ麻の沢山生える、低湿地帯が多かった。
この物語の少し後の時代では、ミンダナオのダバオのアバカ農園の労働者として日本人が雇われ、第一次世界大戦後には、日本人人口も、1万人を超えたと言われている。
余談は兎も角、武羅漢までの道程は、多くの湿地帯を超えていかなくてはならない筈である。


続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第十二回 『萬久危うし!』 [フィクション]

女魔術師は、萬久がいなくなった所で、舞台の幕を引いた。
暫くすると、萬久だけが舞台裏から出てきて、皆から拍手喝采で迎えられた。
客席はもう、大歓声の渦である。
萬久は、照れながら自分のテーブルに戻ったが、鴨野に、『萬久殿、お見事で御座ったな!』と冷やかされると、『あははは、とんでもない。』、と言って笑い飛ばした。

大橋に感化されたオスカル提督は、調子に乗って、アイスペールカクテルを作り続け、馬造に飲ましたり、自分の部下に強制的に飲ませたりと、大変な大騒ぎになっている。
神事屋なども、ふるっていた。
怒涛の勢いで、踊り子めがけ突入して悲鳴を上げさせていたし、ドサクサに紛れて給仕女にモーションを掛けようとしたこう平は、弁当にバレて鉄肘(てつひじ)を喰らわされている。

とろ吉は相変わらずの大食漢で、酒や料理を鯨のごとく平らげていたし、松五郎は、次から次へと出てくるスペイン料理の研究に余念がない。
鴨野は、酔いつぶれて寝ている馬造に向かって説教したりと、相変わらずの天下のご意見番ぶりの中、ひとり良庵だけは物静かで、ニコニコと笑いながら、マイペースで杯を重ねていた。
宴は延々と続き、夜中の12時過ぎまで続いて、ようやくお開きになった。

そして一行は、提督の用意した宿舎に泊まることになったが、夜中に一人、その宿舎を抜け出した男があったのを、誰も知る由もない。
その男は、そっと宿舎を抜け出すと、護衛の目をくぐり抜け、海岸通りにある一軒の宿に入った。
そして、ある一室の前に来て、ドアトントンとノックすると、中から、『お入り!』、と言う声が聞こえ、男は、その中へと入っていった。

『ご苦労だったね。』
中にいた、男が言った。
『はい、旦那様。』
入ってきた男がそう答えたが、何とその男は萬久である。
『もう、そろそろ仮面を脱いだらどうだ?』

中の男は、そう言った。
『はい、旦那様、ただいま・・・』
男はそう言って仮面を脱いだが、その顔は、忍者の菩薩そのものである。
となると、中にいたのは、やはり三河屋だ。
『首尾は、上々だったな!』

三河屋は、ほくそ笑んだ。
『左様で・・・』
菩薩は、口数が少ない。
まあ、それだけ目立たないから、忍び稼業が出来るのであろう。
『この男、どうすれば良いのか?』

三河屋は、部屋の隅で後手縛りに縛られ、さる轡を噛まされて失神している男を指さしてそう言った。
『殺すには及びますまい、今のところ毎日コメントもくれておりますし、何処か遠くで、監禁しておくだけで宜しゅう御座いましょう。』
菩薩はそう答えたが、流石に菩薩の名を汚さない男ではある。
優しいこと、この上ない。

少し説明しておこう。
菩薩は女魔術師に化け、パーティ会場に忍び込んで、萬久の姿を奇術で隠すと、眠り薬で気を失わせ、そのまま萬久になりすまして、一行の前にしゃあしゃあとして戻った。
眠らされた萬久は、外で待機していた三河屋が、宿まで運び込み監禁した。
甲賀忍法、変わり身の術とはこのことであろう。


まさか、ラグーナで監禁か?、萬久の運命は?、続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第十一回 『三河屋の陰謀!』 [フィクション]

一行が、歓迎パーティーに浮かれて大はしゃぎをしていた頃、三河屋と忍びの菩薩は、台湾経由で馬尼羅に到着したばかりであった。
貸切で使った汽船は、阿蘭陀商人の船だったので、港での検閲では、表向きは燃料補給のための寄港ということにして貰い、上陸許可を得た。
ここから、鴨野達一行の後を、追わなくてはならない。

上陸してしまえば、こっちのものである。
どうせ、片道切符で来たのだ。
帰りは、黄金を見つけられなければ、資金的に帰れない。
(不退転の決意を持って、臨まねばならん)
三河屋は、そう決意した。

問題は、鴨野達の動きをどう探るかで有る。
先程の検閲の時の情報だが、鴨野達一行も、どうやら先程到着したらしい。
今は、オスカル提督の元で、歓迎パーティだそうだ。
『何とか、そこに忍び込む手立てはないか?』
三河屋は、菩薩にそう言った。

『ははっ、』
菩薩はそう答え、三河屋の耳元で何か囁いた。
『うむ、そうか、ではそうしてくれ、しっかり頼むぞ!』
三河屋は、そう菩薩を励ますと、明るい顔で頷いた。
そして菩薩は、何処へとも無くすっと消えていったのである。

一方パーティ会場は、宴たけなわになり、地元フィリピン人の民族舞踊で盛り上がっていた。
お順やお欄も、自国の踊りなのに、余程珍しいのか声を上げて喜んでいる。
生まれたばかりの、赤ん坊を置いてきて沈んでいた萬久も、これには満足そうだ。
思わず、酒を過ごしてしまった。
知る人は知っているのであろうが、この萬久は、思ったより酒癖が悪かった。

酒癖が悪いと言うより、酒を飲むと女癖が悪くなると言った方がいい。
酔うと、女にちょっかいを出して、しばしば人々の顰蹙(ひんしゅく)を買うことがある。
民族舞踊は、ますます続いていったが、萬久の杯も、それにも増して進んで行った。
その内に、女魔術師によるマジックが始まった。
眩いばかりの、美人の魔術師である。

『おおっ!』、萬久は、思わず声を上げた。
思わず、飛びつきそうになるのを、かろうじて堪えた。
女魔術師は、人隠しの魔術を始めた。
箱の中に人間を入れ、一瞬の内に、その人間を消すと言うマジックだ。
今では珍しくも無いが、当時のことであるから、見た者の、魂を蹴飛ばすくらいのインパクトである。

最初は、踊り子をアシスタントにして、その子を見事に消して、大きな拍手と喝采を得ていたが、その内に、会場の中の人々から、箱の中に入る人間を募り始めた。
良庵に大橋、そしてとろ吉は、箱の大きさから見て資格外だ。
他の人を押さえて、真っ先に手を挙げたのは、言うまでもなく萬久である。
待ってましたとばっかりに、女奇術師の元に駆け寄ったばかりでなく、その頬にキスまでした。

萬久が手を挙げたことで、会場は、否が応でも盛り上がってきた。
馬造もこう平も大喜び、あの気難しい鴨野でさえ笑顔を浮かべ、大声を出して歓声を張り上げた。
萬久は、女魔術師に促され、箱の中に入っていった。
箱に入って暫くして、女魔術師が、『ヤーッ!』、と声を掛けた。
次の瞬間、女魔術師が箱を開けた時は、見事に萬久は、いなくなっていたのである。


続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第十回 『ウエルカムパーティー!』 [フィクション]

安泰幌に隠れた、鶴兵衛とは何者なのか?
少し説明しておこう。
山奧屋鶴兵衛は、大阪河内で主に果物を扱っていた、秀吉お気に入りの商人であった。
南蛮渡来の珍しい果物を仕入れて売っていたのだが、珍しい物好きの秀吉の目に止まり、それ以来城へ上がって、秀吉のお側近くで物語などをする、御側衆の一人になった。

街中の事情に精通していた博識な人物で、何処そこで問題が有るといえば、秀吉に進言して修繕して貰ったり、裁決を求めたりして、施政に大きく影響及ぼす人材であった。
ところが晩年の秀吉は、年齢から来る呆けからか、正気を失ってきた。
有る人間の讒言から鶴兵衛のことを疑った彼は、思いも寄らぬことに、山奧屋の家財没収の上、鶴兵衛を、呂宋島に追放してしまったのである。

先に、謀反の嫌疑を掛けられて切腹させられた千利休といい、晩年の秀吉は、異常なまでの措置を、それまでにお気に入りだった人物にでも、容赦なく行った。
それに加えて、切支丹弾圧も行い、『伴天連追放令』を発して、信者を迫害し始めたのである。
それで、多くの迫害にあった武士や商人達は、呂宋島に逃れたことは以前述べた。
先に流されていた山奧屋を中心に、反政府軍が結成されるまでに、そうは時間が掛からなかった。

秀吉が、呂宋の壺を購入する為に送った大船団を襲って、その資金を得たが、情報を察知した、ラスカル提督率いるスペイン軍の攻撃に合い、首領である鶴兵衛と数十人の側近のみが、安泰幌の秘境に姿を眩ませたと言う訳であったのである。
さて、その後の行方は、先に述べたとおりである。
ラスカル提督は、それまでの経緯を日記に書いて、子孫のオスカルにそれを伝えた格好になった。

『まあ、そういう訳ですのや・・・』
お蓮は淡々と言い、『おほほほほ』と笑った。
『ふむふむなるほど、で、その後の足取りは、どうなりましたか?』
鴨野が、そう聞いた。
『それでなあ・・・・・』

お蓮は話を続けたが、ここは、作者が代わって説明しておこう。
オスカルは自ら志願して、極東の提督から呂宋提督になった。
本来なら降格人事ではあるが、自ら志願したので、仕方なく認められた格好だ。
表向きの理由は、祖先の赴任地を偲ぶためだが、実は財宝探しである。
オスカルは赴任すると、少数の腹心にこのことを打ち明けた。

腹心の代表格に、アランというのがいる。
中華系のフィリピン人だが、現地で雇われ、影の最高責任者として任命されていた。
外人部隊としてスペイン軍に属していたが、一時期嫌気がさして軍を辞め、出家して寺に籠って、法名を、『阿鸞』、と名乗って修行していたのだが、心境の変化で再び還俗した所を、オスカルに見いだされて再度雇用され、現在の地位に登り詰めたのである。

財宝の事も詳しく知って居り、これからの探索には、彼が同行すると言う。
オスカルが極東提督として、日本に赴任していた時に日本語を学んだので、かなり達者である。
鴨野達が、紹介を受けた時の挨拶も、そつが無かった。
『さあ、歓迎パーティーの始まりやで~!』、とオスカルが叫んだ。
一行は、パーティー会場に案内されたが、豪華絢爛とは、このことであろう。

山海の珍味に、スペイン産の葡萄酒の他に、何と日本酒も用意されていた。
中でも、ダバオ産のマグロの刺身や兜焼きは圧巻だったが、食べ物の話は長くなるのでここでは割愛するとして、いつものように大橋が大酔し、アイスペールにワインと日本酒を混ぜたカクテルを作り、それにマグロの刺身やわさびをぶち込んだ得体の知れないドリンクを、馬造とこう平に、強制的に飲ませているのには、さすがのオスカル提督も驚いた。


宴会は、まだまだ続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第九回 『奥方登場!』 [フィクション]

幾ら何でも、通信教育はなかろう!
作者も、呆れ果てた。
『冗談や、冗談やでえ、ほんまはうちの嫁さん、関西人なんですわ!』
『ま、まことで御座るか?』
鴨野は、相手のペースに乗せられて、ろくな挨拶が出来ないままそう尋ねた。

『そうですねん、三年前に極東地区の提督として、日本に行ったときに知り合いましてん。』
『す、すると奥さんは日本人?』
『へえ、そうだす。』
(人現関係設定が、えらく違うな・・・)
などとは、誰も思わなかった。

つまり、日本が諸外国の圧力に負けて開国をした時に、そのスペイン特使として来日したのが彼だ。
そこで今の嫁さんである、お蓮(れん)と知り合った。
お連は関西出身の商人の娘だが、幕府が諸外国とのコミュニケーションを円滑にするために、新しく開設した阿蘭陀&エゲレス語学学校の生徒に志願し、許されてそこに在籍していた。
スペイン特使のオスカルが、その学校を見学がてら訪問した際に、二人は出会いそして結ばれた。

それから三年、お蓮の喋る関西弁は、オスカルの日本語そのままになってしまったのである。
オスカルは、その後呂宋国の提督としてこの国に赴任したが、日本を離れる前に、幕府高官である阿部老中に、今回の黄金捜索について、個人的に依頼をしたのであった。
個人的ににと言ったのは、あくまでも今回の件が、祖先のラスカル提督の遺稿から見つかった賜物であるし、本国に報告すると、例え見つかっても、そっくり持って行かれる恐れもあるからである。

幕府も、個人から受けた依頼であり、その性質上、正式な発掘団は見送らざるを得なかった。
金銭的な余裕も無いこともさることながら、神事屋達に依頼したのも、そういう理由があったからだ。
オスカルの希望は、例えここに滞在しても、この秘事は、必ず口外して欲しくないと言うことである。
部下の耳にでも入れば、本国に通報されるとも限らない。
彼は、それを恐れたのである。

『詳しいことは、嫁さんが知ってますよってに、ちょっと待ってな、今呼んできますわ!』
オスカル提督は、そう言うと、軽々しく部屋を出て行った。
鴨野達は、呆然としてそれを見送った。
大国、スペインの提督というからは、顔つきの厳しい、重厚な人物を想像していたのだが、ちょっと拍子抜けした格好である。

暫くして、和服姿ならぬ、ハイカラな洋服姿の貴婦人が現れた。
『おほほほほ、蓮(レン)デラクルーズです、宜しゅうに・・・』
『おおっ!』
皆から歓声が上がった。
『こりゃまあ、凄いべっぴんさんじゃー・・・』

馬造は、声を上げた。
『レン・デラクルーズさんかあ、デラべっぴんさんじゃあ、こりゃあ、あははは!』
とろ吉も、嬉しくなって声を合わせる。
お蓮は、泰国からの貢物の帽子にもなる扇子を振り翳しながら、『おほほほ、有難う』と言った。
オスカルの嫁はんも、実に気さくな性格であるようだ。

『あのなあ、それでなあ、問題ゆうのは黄金の在処(ありか)やねん、古文書にはなあ、黄金は、当時の一味の首領である豊臣秀吉の政商であった、『山奥屋の鶴兵衛』が、オスカルの祖先であるラスカル・デラクルーズに戦いで敗れた時に、黄金と共に、姿を隠したとありますのや!』
お蓮は、続けざまに喋り続けた。
『その首領なあ、ここ馬尼羅から少し離れた秘境、安泰幌(アンタイポロ)に姿を隠したらしい・・・』


ええっ?、それって(駑)・・・・・続く・・・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第八回 『オスカル提督登場』 [フィクション]

それからの船は、順調に航海を続けた。
『怒涛丸』は、間もなく呂宋に到着するであろう。
馬造も、何とか海の中に叩き込まれずに済んだようだ。
改心して、毎日コメントを入れるようになったからであろう。
が、しかし、目的は黄金の在処を探すことである。

道程は、まだまだ遠く、これか始まろうとしているのだ。
これからもみんなに、苦難が待ち構えているに違いない。
船はとうとう、是日人形島(コレヒドール島)を抜け、馬尼羅湾に入った。
湾内には、植民支配しているスペインの蒸気船が多数停泊していた。
その中には、今回の黄金探しの依頼主である、オスカル提督の船もあるに違いない。

船が港に近づくと、スペインの憲兵が手漕ぎボートでやって来た。
何やら話しかけて来たが、何を言っているのかさっぱり分からない。
鴨野が身振り手振りで話をしようとしているが、これも相手には通じなかった。
良庵が、見かねて鴨野の所にやって来た。
阿蘭陀先生だけに、又場は、オランダ語なら分かる。

長崎で医術を学んだ時、阿蘭陀通詞に教わっていたのだ。
多少は共通語もあるので、要点だけは相手に分からせることが出来た。
オスカル提督の元に、案内すると言う。
いや、最高司令官であるオスカル提督の客人と分かってからは、扱いが急に変化した。
言葉使いや接態度が、貴人に接する如くなったのが、可笑しいくらいである。

艀に乗り換えた一行は、港に着くと馬車に乗せられ、提督のいる庁舎に案内された。
その建物は、数ある洋風建築の中でも、粋を極めた作りと言って良かった。
当時のスペインが、いかに強大な力を持っていたか、これを持って伺い知れよう。
中に案内されたが、ふかふかなカーペットや、数々の調度品に、目を奪われんばかりだ。
鎖国政策で閉ざされた日本にいた彼らには、想像も出来ない世界である。

神事屋でさえ、このような建物に入るのは初めてであった。
彼の密輸の本拠地は、呂宋島北部の、蔵亜駆(クラーク)であったからである。
あそこにはスペイン人はあまりおらず、代わりに中国人、いわゆる華僑が住んでいた。
華僑はあの周りに、桃源郷のような風俗店を沢山建てた。
そこを称して人々は、杏屁令巣(アンヘレス)と呼んでいる。

神事屋は密輸の関係で、その華僑との繋がりが深かった。
横浜に呂宋茶屋を設けたのも、そこに由来していたのであろう。
神事屋は、杏屁令巣を真似た風俗茶屋を、日本で実現したかったのだ。
余談はいい。
客間で待たされる内、暫くして一人の男が姿を現した。

立派な軍服に勲章、ステッキを下げて、長いブーツを履いている。
つかつかと近づいてきて、一行に、深々と立ち礼をした。
『はいはい皆さんようお越し、わてがオスカル提督でおます、まあ、宜しゅうに頼んまっさ~!』
一同は、ずっこけた。
何という、関西弁であろうか?

日本語で喋ったことだけでも驚かされたのに、服装に全然に釣り合わない関西弁である。
さすがの鴨野も、度肝を抜かれた格好だ。
挨拶を返そうとしたが、ちょっと言葉が出なくて困っていると、代わりにオスカルが口火を切った。
『ああ、この言葉のことですかいな、こりゃ不審に思われるのも無理ないでえ、これは以前な、通信教育で学んだんですわ、がははははは・・・・・』


そんな馬鹿な・・・続く・・・


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幕末ピンパブ物語 呂宋編 第七回 [フィクション]

松五郎が狂った原因は、誰にも分からなかった。
弁当が放った一本背負いは、伊賀の忍びの手練でさえ、完膚なきまでに叩きつけた。
弁当は元々、柔の術を習っていたのだ。
しかし、あの技を皆の前で見せたことで、弁当は持て囃され、株は凄く上がったが、こう平はますます頭が上がらなくなるであろう。

実に恐ろしい嫁を、持ってしまった男ではある。
松五郎は、1晩寝て落ち着いたが、当然のごとく当面謹慎、大橋の調理長復活である。
松五郎は、軽い記憶喪失になったようで、記憶が曖昧で、自分が何をしたのかも覚えていない。
まあ、大橋達にとっては好都合であろう。
別に復讐の為では無く、台所の酒を盗もうとして行為に及んだのであるが、思わぬ結果になった。

まあ、元の鞘に納まったのであるから、喜びは隠さない大橋である。
とろ吉、馬造を従えて、せっせと料理を作る毎日が続いた。
『怒涛丸』は、琉球国に入った。
陸地は、これで最後である。
ここで最後の食料や水を、大量に仕入れなければならない。

大橋は、とろ吉に命じて、泡盛をこっそりと買い付けさせたのは言うまでもない。
懲りない男だが、まるで水滸伝に出てくる、『天殺星 李逵』のようだ。
単純明快で、分かりやすい性格である。
琉球を過ぎると、猛烈な嵐が襲ってきた。
退避しようにも、どこにも港も無いと云うのに、大変な荒れようである。

鴨野は、皆に慌てぬよう指示を出し、自分にも覚悟を決めさせ、歯を食い縛りながら指揮をとった。
船の揺れは、半端ではない。
叩きつけるような波は、容赦なく甲板を襲い、人々を恐怖のどん底に落とし入れた。
男も女も、身体を寄せ合い、励まし合いながら、嵐の過ぎ去るのを待つしか無い。
嵐は丁度、二日二晩でようやく治まって来た。

夜が明けたが、うねりはまだ残っている。
皆、食うものも食わずに嵐と戦ってきたので、空腹だったのに向けて、嵐の収まりと同時に、一辺に食料を胃に入れたものだから、胃が受け付けずに、げえげえと吐き出すものが続出してきたのだ。
船酔いの一種であろうが、特に身体の弱い女連中は酷かった。
中でも重症であったのが、お順である。

何にも食べることが出来ずに、日に日にやつれていくのが、目に見えて分かった。
一番心配しているのは、勿論鴨野である。
殆ど、寝ずの看病と言って良い。
献身的なばかりの、尽くしようであった。
食べ物は大橋に頼んで柔らかくして貰ったり、背中が痛いといえば、何時間でも揉んでやった。

以前、『葱屋』の店の中では、お客と割りきって、幾分営業的な態度で接していたお順であるが、今回の鴨野の看病は、心に染みて嬉しかった。
遠く呂宋から連れてこられて、日本で不安な毎日を過ごしたが、こうして優しい鴨野と知り合え、しかも一時ではあるが、一緒に帰国することが出来るのである。
こうなったら、早く治りたいような治りたくないような、複雑な気分であった。

日ならずして、お順は回復したが、今度は鴨野が倒れてしまった。
明らかに看病疲れが出たのか、咳と高熱が出た。
今度はお順が必死で看病したし、良庵先生の薬が効いたのか、そう長引かずに収まった。
心配していた神事屋を始め、萬久、大橋、とろ吉、こう平なども、ほっとした。
ひとり馬造だけは、『あれくらいでくたばる人じゃないよ~』、と言って、酒をかっ食らっていたが・・・


え~い、この罰当たりめが!、と言いながら続く・・・


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